大分市石炭産業科学館

石炭産業の歴史
1878年(明治11年) 大浦坑から石炭を運び出すため、大牟田川河口まで馬車鉄道が開通
大八車での運搬
 官営当初(明治6年頃)の石炭の輸送は、堀場(切羽)から人がカゴなどにいれて坑口まで担ぎ出し、それを馬や大八車に積み替えて大牟田浜や横須浜まで運びました。さらにそこから、小型帆船に手積みされ島原・口之津などに運び、そこで今度は大型船に積みかえて各地へ輸送していました。
 図は当時坑内から石炭を運ぶ時に用いた道具と大八車で石炭運んでいる様子を表現しています。
官営時代の大浦坑
 石炭が増産されるにつれて輸送力の弱さが問題となりました。最初に坑内で馬による石炭運搬を開始したのは明治11年(1878)大浦坑に曳揚機(ひきあげき)を設備した後でした。また、大牟田浜までの石炭輸送力を強化するために、大浦坑から大牟田川水門まで馬車鉄道の工事が進められ、明治11年2月に完成しました。写真は官営時代の大浦坑で、左側の線路が馬車鉄道です。
馬車鉄道での運搬
 馬車鉄道の延長は24町36間(約2684メートル)あり複線でした。馬車鉄道が初めて動いたのは明治11年2月25日でした。その後明治13年(1880)2月には、七浦坑からの馬車鉄道が大浦坑・大牟田川水門を結ぶ馬車鉄道と連絡されました。写真は馬車鉄道を利用して石炭を運ぶ様子です。

参考資料 大牟田市史
写真 石炭館収蔵資料

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