大分市石炭産業科学館

石炭産業の歴史
1469年(文明元年)
伝治左衛門が今の大浦町の付近で石炭を発見 詳細はこちら
1721年頃(江戸時代)
平野山で石炭をほり始める 詳細はこちら
1873年(明治6年)
三池炭鉱が国のものとなる 詳細はこちら
1878年(明治11年)
「大浦坑」から石炭を運び出すため、大牟田川河口まで馬車鉄道が開通 詳細はこちら
1889年(明治22年)
三池炭鉱が「三井」のものとなる 詳細はこちら
1889年(明治22年)
團琢磨が事務長に就任 詳細はこちら
1892年(明治25年)
三池横須浜にビーハイブ炉(コークス炉)をつくる
1894年(明治27年)
七浦に火力発電所ができて、坑外に電燈がつく
1898年(明治31年)
三池炭鉱宮原坑操業開始
1902年(明治35年)
宮原坑に三池で最初の電動のチャンピオン扇風機設置/七浦坑内に最新の電動エンドレス機使用 三池築港工事がはじまる
1905年(明治38年)
三池専用鉄道万田~四山間開通
1908年(明治41年)
三池港開港
1913年(大正2年)
三池ガス発電所が運転開始
1918年(大正7年)
三池焦煤工場染料工場竣工(コンビナートの形が整う)
1930年(昭和5年)
三池、坑内請負制度・女子の入坑を禁止、囚人の採炭作業を廃止
1932年(昭和7年)
團 琢磨が暗殺される
1940年(昭和15年)
三池炭鉱三川坑竣工
1945年(昭和20年)
空襲で大牟田のほとんどの家が焼けた
1951年(昭和26年)
人工島(初島)ができた
1953年(昭和28年)
第二人工島(港沖人工島)ができた
1957年(昭和32年)
大牟田市で産業科学大博覧会が開催された
1960年(昭和35年)
三池炭鉱の争議が10ヶ月続く
1963年(昭和38年)
三川坑で炭じん爆発事故があり、死者458人を出した
1970年(昭和45年)
第三人工島(三池島)ができた
1997年(平成9年)
最後の三池鉱が閉山した

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